中野区議会議員 斉藤ゆり事務所

プロフィール

斉藤ゆり (さいとうゆり)
  • 1962年5月 中野区鷺宮生まれ
  • 家族 会社員の夫、娘3人、孫2人
  • 保護司
  • 中野区議会議員
子ども文教委員会委員長、中野駅周辺地区・西武新宿線沿線まちづくり調査特別委員会委員、中野区都市計画審議会委員

<学歴>
鷺宮学園幼稚園/中野区立西中野小学校/第八中学校/東京都立富士高等学校/東京女子大学文理学部 卒業

<職歴>
大和証券株式会社事業法人部・イノテック株式会社総務部 出産を機に退職
児童英語&学習支援塾主宰
小学校外国語活動指導助手(中野区立武蔵台小学校)

<活動略歴>
  • 鷺宮学園幼稚園・中野区立鷺宮小学校・北中野中学校・都立西高等学校にてPTAと部活保護者会活動
  • 北中野中学校区中野区次世代育成委員(第3期、4期)、青少年問題協議会委員(第21期)
  • 学校評議員(中野区立かみさぎ幼稚園、西中野小学校)
  • 鷺宮小学校・西中野小学校統合委員会委員
  • 「鷺宮の歴史をたどる」冊子編集発行
  • 「さぎのこMaps」編集発行
<現在も活動中>
  • 鷺宮四丁目町会 会計監事・渉外関連担当役員
  • 青少年育成鷺宮地区委員会 副委員長
  • さぎのみや.net 会長 (地域ポータルサイト運営)
  • さぎのみや・あいあいサポート 副会長 (理由を問わない乳幼児一時預かり事業)
  • 野方消防団第八分団員

[幼少期]

1962年 杉並区衛生病院にて、五十嵐健治(理学系技術者・研究者)・明子(主婦、その後ラボ・パーティテューター他)の第1子として誕生 家族は4歳下の妹1人。
住宅供給公社鷺宮西住宅6号館で育ちました。
緑あふれる団地敷地は広く、毎日走り回って遊んでいました。当時はほとんどが子育て世帯。
自治会主催のラジオ体操、映画会や運動会。集会室では自主運営によるつくし文庫(私設図書室)があり、みんなが顔見知り。親が留守だと誰かの家で帰りを待つということが普通。地域ぐるみで子どもが育てられていました。このコミュニテイが私の原点です。

1967年 鷺宮学園幼稚園入園。
豊島園まで歩いて出かける園外保育、本堂での宿泊保育などユニークな保育に特徴があった園でした。30年後娘たちも同じ園に通いました。

[学齢期]

1969年 中野区立西中野小学校入学。 
鷺宮小学校から独立したばかりで、先生方は新しい学校づくりの熱意にあふれていました。小学校の仲間たちとは今でも定期的に集まっています。
母の主宰するラボ・パーティに所属し英語を学びました。

1975年 中野区立第八中学校入学。
ブラスバンド部に入部してフルートとピッコロを担当。
鷺ノ宮駅前で「社会を明るくする運動」の啓発活動として演奏しました。
生徒会活動にも取り組みました。
1年生の時にアメリカ(オレゴン州)にて1ヶ月ホームステイを体験。

1978年 東京都立富士高等学校入学。
公式テニス部に所属。映画館や喫茶店に通いつめ、勉強以外は充実の日々。
1981年 東京女子大学短期大学部に入学 3年次での編入を目指すことを決意し勉学に励みました。

1983年 東京女子大学文理学部に編入。
早稲田大学のハンググライディングクラブに所属。夫と出会う。
家庭教師と航空協会でのアルバイトでグライダーを購入。
大学では開発経済を学び、途上国支援に興味がありつつも就職は大手証券会社に。

[就職]

1985年 大和証券本店事業法人部入社。
上場企業の資産運用等を扱う部署の営業アシスタントとして勤務。
就職後にブラックマンデーからバブル期へ市場が大きく動いた時代でした。

1988年 結婚を機にイノテック株式会社に転職。社長秘書を務める。
半導体製造装置を扱う商社で、パソコンやインターネットが普及する直前の最先端の世界で仕事ができたのは貴重な経験でした。
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[子育て期]

1990年 第一子誕生 子どもを手元で育てたいと退職。
子育てが思うとおりにいかず、人生の挫折くらいにまで思い悩みました。
公園デビューという言葉があって公園の既存のママグループにはいり辛かった時、救ってくれたのが、中野区の巡回児童館。間に職員がはいるだけで、あっという間に子育て仲間の輪が広がっていきました。子どもたちは地域で育つ。その後の活動の土台となりました。

1994~1998年 中野区が巡回児童館廃止の方針を示したことから。「おひさまひろば親の会」にて廃止反対の陳情を提出。これが最初の地域活動となりました。

1992~2019年 児童英語&学習サポート塾「Lis' Party」主宰 子どもを通わせたい英語塾を自分で作ろうと立ち上げました。

1993年 第二子誕生

1996年 第三子誕生

1997~2000年 「さぎのこMaps」 設立。児童館で知り合ったママ友と子育て情報誌「さぎのこ」2版、「さぎのこ 保育園・幼稚園特集号」を編集発行。

~2000年 子育てサークル「ワンパク広場」ではママ友にいた体操の先生や退職幼稚園教諭などたくさんの仲間たちと楽しい日々を過ごしました。代表を務める。

[地域活動期]

1999年 鷺宮地域センター(当時)が教育フォーラム企画の一環で、歴史をたどる活動をスタートさせ、委員として参加し「鷺宮の歴史をたどる」冊子を編集発行。

2000年 鷺宮地域センター地域支援事業として地域ポータルサイト「さぎのみや.net」を立ち上げました。会長を務め地域サイトのはしりとなりました。

2003年~ 末娘の小学校入学を機に「西中野児童館」乳幼児親子事業(のち子育て仲間づくり事業)に先輩ママさんボランティアとして事業に参加。

2004年 地域文化団体として新「鷺宮の歴史をたどる会」(会長 菊田守氏)を立ち上げ副代表を務めました。歴史散歩、歴史シンポジウムを企画。冊子の増補改訂版を2版発行。

2005年~ 鷺宮地域の子育て支援団体「さぎのみや・あいあいサポート」にて放課後子ども教室児童館日曜日開放事業(~2012年 )、乳幼児一時預かり事業をスタート。現在副会長。

2004~2006年 「青少年問題協議会」公募委員(第21期)。

2005年 鷺宮小学校外国語活動指導助手。

2007年~ 「青少年育成鷺宮地区委員会」委員。 広報部長を経て現在は副委員長。

2014~2018年 「中野区次世代育成委員」委嘱(第3期、4期)。

2015~2018年 武蔵台小学校の「外国語活動指導助手」1学年から6学年までを担当。デジタル教材が導入され、外国語活動が必修化となる節目の時期で現場で多くの課題をみました。

2015~17年 「中野区立かみさぎ幼稚園学校評議員」

2017~19年 「中野区立西中野小学校学校評議委員」

2017年~ 「保護司」委嘱 社会を明るくする運動の主催側になりました。
誰かがどこかでこの人に手を差し伸べられていれば、非行や犯罪をすることもなかったと思うケースに出会い、地域で息の長い支援に取り組む重要さを知りました。

2018~19年 西中野小学校の放課後拡充教室「全力塾」見守りスタッフ/北中野中学校放課後学習支援講師。
勉強がわからないことが、不登校の要因となるケースを目の当たりにして、個人に寄り添った指導の大切さを感じるきっかけとなりました。

2018~19年 「中野区立鷺宮小学校・西中野小学校統合委員会」委員。

2019年~ 「鷺宮四丁目町会」 会計監事。

2020年~ 「野方消防団」第八分団員。
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【区議会議員活動】

長年、地域でまちのことに携わってきました。これまでの活動を通じて聞いてきた地域の声をつなぎ、課題として感じてきたことの解決を目指していくことが自分の役目ではないかとステージを変えて区政に直接関わる決意をし、政治活動をスタートさせることになりました。
初めての一般質問では、本会議場でこれまでの思いを述べる機会をいただいき胸がいっぱいになりました。

2019年 中野区議会議員初当選 2396票をお預かりして42人中12位で当選、ノー選挙カーの選挙。
前期:子ども文教委員会副委員長、交通対策調査特別委員会委員、土地開発公社評議員。
後期:建設委員会副委員長、中野駅周辺整備・西武新宿線沿線まちづくり調査特別委員会委員。
中野区社会福祉協議会評議員。

2023年 2期目当選 2,690票をお預かりして42人中8位で当選。2期目もノー選挙カーで歩いて選挙。
前期:子ども文教委員会委員長、中野駅周辺地区・西武新宿線沿線まちづくり調査特別委員会委員。
中野区都市計画審議会委員。

長年活動してきた子ども・教育関係の委員会に所属させていただき、今期は委員長を拝命させていただいていることに感謝しています。
地元の長年の懸案事項である、西武新宿線の踏切対策については、特別委員会にて議論を進めています。計画実現までは、また数十年の単位で時間がかかりますが、その計画はこの数年で策定されるものとなります。責任の大きい仕事です。
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